たとえばそれがしあわせとして

そうやって生きていこう

自殺への想い

 突然ですが、昨日なんとなくTwitterを覗いていると、端にある「はてなブックマーク人気の話題」という欄に、こんなタイトルを見つけました。

 自殺する人は弱い - grshbの日記

 とても興味深いテーマでした。重いテーマなだけに、なかなか好戦的な内容とコメントばかりで、「自殺」に対する想いがそれぞれであることを痛感しました。そうではない、と反論する人もいました。確かにそうだ、しかし……、と納得しながらもすえかねる人もいました。

 

 では、わたしは「自殺」に対してどう思っているのか。

 それがおかしなことに、さっぱりと出てこないのです。弱い/強いといった二元論を見てしまったからでしょうか、どうにも頭に浮かんできません。簡潔にしようとすればするほど極論に近づくのは当たり前なのですが、しっくりとくる表現がないのです。

 自殺に今まで関わってこなかったからではないのか。そう思われても仕方ないと思うのですが、実を言うと全く縁がなかったわけではありません。むしろ、(もう10年ほど前の話にはなりますが)自殺未遂は経験しています。それなのに、「自殺」に対する想いがぱっと出てこないのです。

 なんというか、いたたまれなくなりました。ぶるぶると手が震えました。わたしは意見を言うことに尻込みするタイプではないと自負しています。特に、今まで経験したことに関しては、すぐに何かしらの言葉が吐き出される方です。それなのに、「自殺」という今後に関わるテーマに対して、はっきりとした意見が出ないのです。

 

 友人にこの話を件の記事と一緒に持ちかけたところ、

「自殺というテーマは重い。すぐに答えを出す必要はないだろう。むしろ、出ないなら出ないでいい。関わりがないことなら、関わらないに越したことはないのだから。万が一、関わりをもつときが来たら、そのときに考えればいい。無理をして、考えすぎてはいけない。」

 このような返事をもらいました。わたしは考えこむと長くなる方なので、それを心配してかけてくれた言葉のように思います。ですが、わたしにとって「自殺」は"関わりがない"ことではないのです。

 その旨を伝えると、

「それなら、自分の意見を言おう。自殺を"弱い/強い"で片付けるのは筋違いではないだろうか。自殺は幅が広い。責任感から逃れること=自殺という見解は最早古い。精神疾患はもちろん、たくさんの要素が積み重なった環境があるのだから。」

 なるほど、と頷いたわたしに、友人はこう続けました。

「そのブログへの意見は以上だが、自殺に対する想いは、お前と同じで全くはっきりしない。良し悪しでは決められないし、もちろん強弱でも表せない。やはり、今その想いを言葉にする必要はないように思える。

 俺は、知らないことなら知らなくていいと思う。さっきも言ったが、関わりがないことならそれでいい。例えば、覚せい剤を全く知らない人々がいたとして、その人々が覚せい剤を知ったらどうなるだろう。覚せい剤を使う人が出てくるのではないだろうか。危ういことなら、知らなくていいこともある。そのものを知り、関わるということは、それに近づくということだ。自殺に近づく必要はない。だから、考えなくていいだろう。特にお前は考えれば考える程深みにハマる質なのだから、これ以上はやめておけ。」

 そこで、この話題は打ち切られました。

 

 しかし、わたしは腑に落ちません。何度も書きますが、わたしにとって「自殺」はすでに関わってしまったものなのです。友人の例え話でいうならば、わたしは覚せい剤を知ってしまったのです。それも、一度服用したことがあるのです。ならば、やはり考えなければならないのではないでしょうか。覚せい剤の毒性を、服用してしまう理由を、その対策を、想いを掲げなければならないのではないでしょうか。

 今言葉にする必要は、確かにないのでしょう。人生経験も知識もまだまだ浅いわたしでは、到底立ち向かえるテーマではありません。けれど、噛み砕かずそのまま放ったらかしにすることはできません。一度経験してしまっている以上、これから、わたしだけでなく、わたしの周りでそのようなことが起きても何ら不思議はないと感じているからです。

 

 ここで、少しだけまとめたわたしの「自殺」への想いを綴ります。

 「自殺」とは、「衝動」です。いろんな要因が積み重なり、途端に弾けてしまうのです。そしてその「衝動」は、周りを巻き込みます。巻き込まれたものは、その「衝動」に悲しんだり、怒ったり、あざ笑ったりするでしょう。ただ、やはり一瞬の「衝動」であるが故に、それは「後悔」という形を残せざるを得ないのです。その「後悔」は時間が経つにつれ、どんどん小さくなるでしょう。小さなちいさなものになって、ひっそりと「死」に繋がるでしょう。

 だからどうした、という結論はやはり出ません。しかし、一晩わたしなりに考えた結果です。そしてこの想いは、少しずつ形を変えていくことでしょう。

 

 どちらかといえば、「自殺」というテーマを抱える「自分」と向かい合ったひとときでした。文字として残しておけば、いつか見直したときに為になると思い、このような形にしました。

 初のブログがこれでは、なんというか、重すぎるのではないか、と気になりもしたのですが、他に書くことが思いつきませんでした。いやはや、見切り発車もいいところです。

 それでは本日はこれにて。明日からまた月曜日です。頑張りましょう。